――そして彼が「生きている」とき、どんなふうなのか知ろうとしてもよかったでしょうね。今や彼が(昔のようには)もう生きていないことを思うと。彼が生き、歩き、出かけ、戻り、考えていることは確認されていますが、だれもそれを議論しようとしない。
【一部】
「カルデア内で行方不明になっている職員がいる?」
ええ、そうなんです、と私は神妙な顔をつくって頷いた。作り物のように整っていた端正な顔立ちが、ひょいと片眉があがることで人間らしいものになる。まるで舞台のワンシーンを客席から他人事のように鑑賞しているようで、現実として脳裏にフィットしない。
間違いなく、これは現実だ。私の目の前ですべてが事実として展開されている現実だ。しかしながら、皮肉なことにドラマよりもドラマらしい現実だ。立ち尽くす私の向かいでカルデアの備品である多機能ソファに腰掛けているのは、かの有名な名探偵――シャーロック・ホームズその人なのだから。
茶系のインバネスコートに鹿撃ち帽というオールドタイプの格好ではないが、頭脳明晰であることが歴然の涼しい瞳とパイプだけで、彼をホームズとして成り立たせるに十分だった。
隣に立っていた青年――カルデアのマスター、リツカ・フジマルも私の台詞を後押しするように頷いて同意を示す。
「そうなんだ。一週間前に一人、そして三日前に一人――」
ホームズがパイプを銜えて質問をはじめる。
「休暇申請は?」
「出ていない」
「本人の部屋には?」
「帰ってきていない。行方不明になっている二人は、二人部屋に住んでいたんだけど、ルームメイトも姿を見ていないって。荷物も置きっぱなしらしくて」
「彼らが潜みそうな場所は?」
「食糧庫や資料室は探したって」
「監視カメラの映像から、追跡 が可能ではないのかな」
「それが、一週間前から、システムの調子が悪いらしくて……修理は進めているんだけど、なかなか手が回らなくて……」
「随分と稚拙な話だ」
次々と質問を繰り出され、最終的にはぴしゃりとホームズの言葉を浴びせられたリツカは、塩水を浴びせられた蛞蝓のようにしゅんと縮こまってしまった。リツカが悪いわけではない。私は彼の代わりに申し訳ありません、と謝罪して、ホームズに改めて向き直った。
「我々の力不足によりお手を煩わせることになりますが――」
まるで探偵小説に出てくる、探偵のもとを訪れる依頼人のようだ、と私は頭の片隅で不謹慎な高揚を感じていた。
私はカルデアに勤める前からコナン・ドイルの小説を愛読していたので、英霊として彼が呼ばれたと知ったときは素直に嬉しかった。そのホームズに、事件解決を頼んでいるのである。一ファンとして、これほど喜ばしいことはあるだろうか。人類をまるごと救うという――壮大すぎる、それこそ小説のなかでしかあり得ない事件に関わっていたときの押さえきれない高揚を、私は思い出していた。
「――どうか貴方の力をお借りしたいのです」
恐らく世界で最も有名な探偵――シャーロック・ホームズ。
コナン・ドイルの著作に登場する、私立探偵。
カルデアの英霊召喚システム「フェイト」では、調停者としてルーラーのクラスで契約されている。英霊となれどその「推理」は曇ることなく、限られた情報から真実にたどり着く速度は凄まじいものだった。万能の天才として確固たる存在感を示すあのレオナルド・ダ・ヴィンチでさえ、彼の知性を天才のそれと認めていた。
勿論、彼の優れた点は知性だけではない。英霊が戦う存在としてある以上、どうしても重要となる「武力」に関しても、ホームズは作中にて描写される「バリツ」と呼ばれる武術を見事に修めていて、並以上の働きを見せてくれた。
「本当にごめん」
リツカがしょんぼりとした表情のまま、胸の前で人差し指の先をつんつんと触れ合わせる。年齢相応というには少々あざといその動作を見たホームズの表情が緩む。
仕方ないね、と答えてホームズは立ち上がった。
「探偵として、依頼人を無下にはできない――少し、気になることもあるしね」
世界最高の探偵とはいえ、一定の願望に裏打ちされてカルデアへ召喚された英霊である今、マスターであるリツカには甘いようだ。親しみを込めて微笑するホームズをぼんやりと眺めながら、私は、ワトソンに接するホームズもこのようであったのだろうか、と考えた。
そのとき、私の思考を打ち切るように大きな音で警報が鳴り響いた。続いて聞こえる、リツカを呼び出すアナウンス。年相応の少年らしい自信なさげな表情が瞬時に消え失せ、視線がはるか遠くまで続く未来に照準を定める。口元に僅かながら力が入っただけであったが、ぎゅっと存在の輪郭が引き締まった。さすがは、「開位」を与えられたカルデア唯一のマスターだ。顔も知らない、存在すら意識したことがないだろう人間を含め――過去そして未来すべての人類の救世主。
「今、頼み事をしたばかりで申し訳ないけど、ホームズも来てほしい」
リツカはあくまでもホームズを、ほかの皆と同じ英霊として扱っていた。ルーラーとしての実力を買っているらしく、召喚された英霊たちのなかでは比較的高い頻度で戦闘に連れ出している。耳に痛い警報の余韻が、マスター以外の周囲の人間の神経を逆なで、落ち着かない表情を作らせるなかで、名探偵は推理中の真っ最中のように――目を閉じて、静寂を纏いながらたしかに存在していた。
「いいだろう。承った、マスター」
警報が再び繰り返される。ホームズはソファの背にかけていた黒のインバネスコートを手に取るとバサリときれいに裾を翻して身に着けた。ふと、管制室へ足を踏み出しかけていたリツカが無言でホームズの顔を見つめる。ホームズは微笑んで、その視線に応えていた。
お互いに信用しているのだろう。
私はしばらく戻ってこないだろう二人をその場に立ち尽くしたまま見送り、人理修復が叶わなければ決して見れなかったであろうその光景に、何故だか溢れ出てくる涙を止められなかった。
行方不明になってしまったカルデアのスタッフたちは、この光景を見ることが叶わないまま、どこかへ行ってしまったのだと思うと、急に胸のうちから臓器や筋肉がごっそり持っていかれてしまったような、虚無をともなう寂しさだけが身体のなかに満ちた。早く解決してほしい。
いや、大丈夫だ。
あの名探偵なら、すぐに解決してくれる。
視線の先に見えていたホームズが、僅かにこちらを振り返った気がした。

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