MODELING AND SIMULATIONS OF a DETECTIVE BEHAVIOR SEMIOSIS BASED ON PROTOCOL ANALYSIS

4.

 十九時過ぎの食堂は、ちょうど夕食のピークで、相席になることも多い。
私は夜勤前に腹ごしらえをしておきたかったので混雑している時間とわかっていながらも、食堂で一人座っていた。向かいになったのはカルデアスタッフとしての経歴が長いダストンという男だ。一般人でありながら、技師としてカルデアに勤めているらしい。国連関与の組織といえど、メインは魔術師の家のものばかりなので、同じく一般人である私は――偶々向かいに座れば、世間話をはじめる程度には、親しくしていた。
「そういえば君、ホームズさんに気に入られてるんだって?」
 世間話の一環として、ダストンは私にそう切り出した。嫌な表情はしておらず、単純に今思い出した、という程度の話題らしい。
「珍しい。ホームズさんと仲良くできる人なんて」
 英霊もスタッフと同じように「さん」付けで呼ぶこの男は、しみじみと呟いてラーメンをすすった。
「仲良く、は、していないんですけど……」
 ホームズとのやり取りや態度を思い返すが、こちらに募るのは親愛ではなく不信と無感動ばかりなのだから、仲が良いとは言えないだろう。ホームズとのやり取りを思い返す間に、自分の下で喘ぐホームズを脳裏に浮かべてしまい、慌てて目の前のガパオライスをかきこむ。
「そうなのか? 俺から見ても、ホームズさんはかなり楽しそうに見えたが」
「それは――」
 勝手に私をワトソンとして見ているからだろう、と返しそうになって口を噤む。ダストンにも、自分が「ワトソン君」と呼ばれていることを言う気にはならなかった。ダストンなら私の言うことを嘘だと決めつけることはしないだろうが、このことはむやみと人に話していいことではないような気がした。
「ダストンさんも、英霊ニコラ・テスラとよく楽しそうに話しているじゃないですか」
「ん? ああ、テスラさんも生前は技術者だったろう。俺が元々研究していた分野に興味があるみたいで、よく話すんだよ」
「僕も同じようなものですよ」
「元の仕事に興味があるってことか?」
 正しくは、私の外側、私の心ではなく形式的なところに興味がある、ということだ。だが、私は訂正せずにただ微笑んでいた。
「ああ、君はここに来る前、PMC(private military company)にいたんだっけ……」
「そうです。人が死ぬのはよく見ましたから、何か感じるものがあるのかもしれませんね」
「なんだそんな、センサーみたいに」
「案外、あのルーペのような機械で、人の殺意や悪意を感知しているのかもしれませんよ」
 思いついた冗談を口にすると、ダストンは何だそれ、と言って笑ってくれた。
「あの機械も、英霊の一部、なんですかね」
 そういえばホームズが私のそばに寄ってくるとき、あの機械類はついていないことに気づく。それどころか、戦闘時のインバネスコートや腰のコルセットもない。
「んー、どうなんだろうな。テスラさんの右手も取り外しできて、外していても問題ないみたいだし。武器の一つという扱いでいいんじゃないか? 一部を成すというよりは、付属品だろう」
 英霊ニコラ・テスラの右腕は、細微な構造の義手、のようなものに覆われている。あれが外せるとは知らなかった。たしかにあれをずっとつけていると日常生活の邪魔だろう。ホームズのあれも相当に邪魔であるに違いない。
「そういえば、彼は宝具解放のときにあの機械を使っていましたっけ。ダストンさんの言うように武器扱いなのかな」
「あー、彼の宝具はちょっと特殊だからわからないけど」
 特殊? と私は聞き返した。攻撃系の宝具でないことは、戦闘中の映像から見てとれたが、似た宝具はほかにもあるだろう。例えば、デミサーヴァントであるマシュ・キリエライトの宝具も攻撃系ではない。
 私が納得のいかない顔をしていたのだろう、ダストンはズボンのポケットから小型デバイスを取り出すと、画面を何度かタップしてこちらに向けた。
「シャーロック・ホームズの宝具は、本来、常時展開型なんだよ」
 ダストンから小型デバイスを受け取り、そこに表示されているホームズの宝具に関するテキストに目を通す。
「……」
 解明、を宝具として昇華させたもの。いかにも探偵らしい宝具だった。

—-
エレメンタリー・マイ・ディア。
サーヴァントとして現界したシャーロック・ホームズが得た宝具。自らの起源である『解明』を宝具として昇華させたモノ。
立ち向かう謎が真に解明不可能な存在であったとしても、必ず、真実に辿り着くための手掛かりや道筋が「発生」する。
たとえば鍵の失われた宝箱があったとしても、鍵は「失われていない」ことになり、世界のどこかで必ず見つけ出せるようになる。
(ただし、流石に手の中に突然発生したりはしない。どこかに在るそれを、ホームズないし協力者が発見せねばならない)
—-

死んだ彼女が押し付けてきた小説のうちの一冊、コナン・ドイルの「The Valley of Fear」を読み進めていると、懲りずにホームズがやってきた。今日はbow tie に白いシャツ、サスペンダーの、紳士らしい格好をしている。一つ一つの動作が様になり、一流の俳優のようだった。
「何を読んでいるんだい」
 そう言って彼は、私が開いていた本を取り上げるとカバーに書かれたタイトルを確認し、そこにある文字を認識して片眉だけ上げてみせた。
「わざわざ印刷物を通さずとも、私に聞けばいいだろう」
 読みかけだった本を閉じ、ホームズは右手を自身の胸元に添えた。私は彼の言葉に答えず、栞を挟む間もなく本を閉じられてしまったことに対して無言で抗議した。私の心を読み取って、彼は楽しそうに笑うと、ページ数を確認することなく本をある歌詞で開いて私の前に置いた。
 それはまさしく、私が先ほどまで視線を滑らせていたページだった。
「犯人を教えようか?」
「絶対やめてください」
「そう怖い顔をしなくてもいいだろう、ワトソン君」
「僕はワトソンではありません」
 いつものやりとりを繰り返したあとで、私の意識はふと、ジョン・H・ワトソンに向いた。直前までワトソンに関する描写をつらつらと読んでいたからだろう。
「ジョン・H・ワトソンっていうのは、一体どんな人だったんですか?」
私が、何の考慮もしていない、ただ頭に生じたままの質問を口にすると、ホームズは一瞬、何を言われたのか理解しかねる、という複雑な表情を見せた。
「話のなかのワトソンと、実際のワトソンは似てるんですか?」
 より具体的な言葉に変換して再度ホームズに尋ねると、ホームズは少し考えて、さてね、と曖昧な言葉から返答をはじめた。
「小説とは、現実的にはインクの染みの連なりだ。小説内の人物が話したり動いたりするのは、読者の脳の中であり、そこには必ず個人差が発生する」
 ホームズはベッドに腰掛けた。
「つまりは私と君のなかでは、同じ文章を読んだとしても、そこから生起されるワトソン像は異なる可能性があると言うことだ」
 つまり先ほどの問いに意味はない、と彼は犯人の名前を言うかのようにびしりと結論づけた。
 私は、ワトソンについて嬉しそうに語る彼女の顔を思い出していた。その思い出は心にヒリヒリと沁みる。その感触を妙に心地よいものと感じて、私はさらに食い下がった。
「でも顔や喋り方、論理の展開の仕方なんかは、似ているか判断できるのではないですか」
 本物のシャーロック・ホームズから、本物のジョン・H・ワトソンの話を聞く。それは、彼女が泣いて喜びそうなシチュエーションだった。私はもうこの世にいない彼女を喜ばせるために、脳内に住み着く彼女の亡霊を喜ばせるために、ホームズへしつこく食い下がっていた。

「わからない」

 ホームズはまっすぐ前を見て、そう言った。宝具を展開するときのように、お得意の指先をあわせるポーズをしかけて――時間切れになったかのように取り止めた。

「少しくらい教えてくれてもいいじゃないですか」
 わかっているところをあえて「語らない」ところは何度か目にしていたが、わかっているだろうことをわからないというのは、探偵の矜持に反するのではなかろうか、と私は軽い憤りを覚えて。
 そして気づいた。
 彼は、「わかっている」ことを「わからない」と嘘をついたことがない。
 彼が「わからない」というときは、本当に真実が見えていないときだ。
 明かすことができないときだ。
 つまり。
 英霊、シャーロック・ホームズは、今、私のベッドに腰掛けてじっと前を見つめている男は――小説のなかのワトソンと、彼が知る実際のワトソンの違いが「わからない」。
 彼の言葉の重大さに気づき、私は肩をこわばらせた。
「それはつまり、小説のワトソンとの違いはないとうことですか?」
「いや」
 即座にホームズが否定する。

「そのままの意味だ」

「つまり――」
「私には、その小説のなかのワトソンと、実際、私が知るワトソンの比較が不可能だという意味だ。何故ならば、私は今、ジョン・H・ワトソンについて“何も覚えていない”」
 彼が嘘をついているようには見えなかった。
「ただ――ジョン・H・ワトソンという大切な相棒がいた――その“事実のみ”しか、今の私には残されていない」
 いや、正しく言おう、ここで表現を曖昧にしても意味がない、とホームズは力なく呟き、額に手を置いた。
「大切な相棒のことを思い出そうとすると、さまざまな人物のことが蘇るんだ。背、顔つき、体格、さまざまなタイプのワトソンが、私のなかで『ワトソン』として思い出される。どれも、『ワトソン』だということはわかる。当事者のような気分になる。しかし、それらはすべて『私』の知るものではない――ということもまた、私はわかっている」
 先日、ダストンに見せてもらった小型デバイスのディスプレイに表示された文字が、私の脳内でありありと蘇った。

 ――英霊シャーロック・ホームズは、パスティーシュまでを含む可能性がある。

「そして、私自身が思い出せる『ワトソン』の記憶はこの頭のなかにない」
 ホームズは人差し指を鈎型に折り曲げると、その関節の先でコツコツと額を叩いた。
「だから、先の君の質問には答えらない」
「そんなことよりも」
 私は思わず立ち上がっていた。
「その記憶の混濁は、『ワトソン』に限ったものなんですか?」
 ホームズがようやく私の方を見て、微笑した。教師が出来のいい生徒にするような、穏やかで正解を知る微笑だった。凪のない唇の歪みに、私は空恐ろしいものを感じ取った。
 今。
 ここにいるのは、一体誰だ。
「急に、探偵のようなことを言い出すのだね」
 ここにいるのは何の残骸だ。
「あなたの記憶の混濁が、自身以外の記憶の混濁が、あなた自身に及んでいるとしたら、あなたは一体――」
 例えば。
 ワトソンの記憶だけでなく、好きなもの、かかわった事件、発した言葉、趣味、行動理由、その他すべてが、すでにパスティーシュも含んでいるというのなら。
 希代のキャラクターとして、何十年もの間、恐るべき数の人に愛され、多数のパスティーシュが作られてきたというのなら。
「あなたの自我は一体どこにあるんですか」
 ホームズは“いつものように”知性に裏打ちされたたしかな微笑みを浮かべると、静かに囁いた。
「ここにあるさ」
 今も、彼の頭のなかには、自分の知らない記憶があるのだろうか。自分の好きでなかったものに好意を覚え、自分が好きだったものに嫌悪を抱くのだろうか。
 自分の存在から生まれた多くの影たちに、内部を侵食されているのだろうか。
 普通の人間ならば妄想に侵された精神障害患者のように一貫性のない破綻ありきの話し方をしているところだろうが、彼の精神が壊れているような素振りは感じられなかった。何を考えているのかわからないときはあったが、それは彼が聡明すぎるからだと納得できていた。
 そもそも、リツカ・フジマルやほかのスタッフ、そして英霊たちも、彼の人格の侵食など気にしている素振りはなかった。
 それらをすべて。
 彼は、理性でねじ伏せて、まるで一つの人格のように見せているのだろうか。
 計算し、推理し、解析し、分析し、一つの人格で収まるよう、己の言動をコントロールしているのだろうか。
 嗚呼、そうか。
「真実を語る」という彼の本質は、彼を英霊に縛り付けるものでありながら、今となっては彼の人格を保つ拠り所になっている。「真実を語る」のに、感情は必要がない。現実を見て理論的な思考に努め、真実にたどり着いたら適切なときに口を開けばいい。
 
 犯人は動機として己の感情を“語る”が、探偵は推理を披露するときに己の感情を“語ることはない”。

 真実を語る探偵として――「明かす者」としての在り方は、人格のぶれの影響が少なくて済む。

「ワトソン君」

 彼はいつものように、私の方を見つめながら、大切であるにも関わらずそのフレームしか残されていない、虚無に満ちた相棒サイドキックの名前を呼ぶ。


「僕はワトソンではありません」
 真実を知ってもなお、私は彼の言葉を否定する。

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