あなたはあの音を知る人だ
(ツェルニーとマドロック)
「あとはマドロックさんですね。どこに行ったんでしょうか」
慌ただしく働くオペレーターたちによって砂埃が舞い上がり、撤収の指示が行き交う現場の中で聞こえたその台詞に、ツェルニーは顔を上げた。声のした方向に視線を向けてみれば、フェリーンの医療オペレーターが耳をぴんとたてて辺りを忙しなく見回していた。
コードネーム・マドロック――自分と同じく、重装オペレーターとして今回のチームに登録されていた、サルカズのメンバーだ。
今回の任務は、クルビアの西部に打ち捨てられた、もう移動都市として機能していない廃墟群から感染者集団を救い出すというものだった。行き場をなくし、真っ当な者は誰も住んでいない廃墟に身を寄せた彼らが、かつて開拓者の集団であった野盗に狙われているというリークがあったのだ。ツェルニーの役割は主戦力である攻撃部隊の防衛だった。一方、マドロックの役割は主戦力が横からの不意打ちを喰らわないよう、左側の道を塞いでおくというもので、単独行動を許されていた。ツェルニーは一人で大丈夫なのかと懸念を示したが、マドロックであれば問題はないと今回の作戦の責任者に返されていた。結果的に、こうして無事撤退の作業を行えているのだから、責任者の言葉通り、マドロックは一人で問題なかったということなのだろう。
「私が探してきましょう。あなたがた医療オペレーターよりは幾分余裕がありますから」
ツェルニーが周囲に視線を巡らせていた彼女に声をかけると、彼女は数秒迷った後に、お願いしますと丁寧に頭を下げた。承諾して、踵を返す。
この廃墟群はそう広くない。十分も歩かないうちに、街の端へと辿り着いた。建物が途切れた向こうには、クルビアの砂と岩だらけの荒野が広がっている。風がごうごうと吹いており、ピアノの繊細な音は掻き消えて隣人たちに聞こえないだろう、とツェルニーは考えた。しかし、繊細な旋律にはふさわしくない景色だが、その雄大さは、ツェルニーのなかにある創作意欲を十分に刺激した。
その荒野へ立ち向かおうとするかのように、マドロックは街に背を向け、頑丈なハンマーを杖代わりに、2本の足でしっかりと立っていた。その頭越しに、嫌味なほど澄んだ青い空が見えている。
「マドロックさん――作戦は終了しました。撤収しましょう」
ツェルニーの呼びかけに、マドロックはぴくりと肩を振るわせると、静かに後ろを振り向いた。マスクで顔が覆われており、その心中にある感情は読み取れない。
「無事に終わったのか」
くぐもった声がマスクごしに聞こえてくる。マドロックは鎧で全身を覆ったサルカズ女性であると聞いたことがあるが、発声時にアーツの影響を受けているらしく、プロの音楽家であるツェルニーの耳をもってしても、声だけでその性別を判別することはできなかった。性別がどちらであろうと、自分には関わりのないことであるが、好奇心から咄嗟に声に耳をそば立てた自分自身に、ツェルニーは少し腹を立てた。
ツェルニーがマドロックと並ぶほどに近寄ると、マドロックの前方に広がる地面には不自然な凹凸ができていることに気づいた。岩の破片が散らばった箇所もあり、戦闘があったことは容易に想像できる。どうやら、作戦責任者の言った通り――マドロックはたった一人で己に課せられた役割を立派に果たしていたらしい。
「ええ、おかげさまで」
「それでは、私たちもロドスの本艦に戻ろう。…、……」
マドロックの不自然な沈黙に、ツェルニーは社交用の笑みを浮かべた。
「コードネーム・ツェルニーです」
「ツェルニー。覚えていなくてすまない。あなたは私の名を覚えてくれているというのに」
「構いません。私の名を覚えていなくとも、あなたの任務に問題はありませんので」
マドロックは長く感染者集団のリーダーとして放浪していたと聞く。音楽を聴く余裕はなかっただろう。音楽家に縁がない者であれば、ツェルニーの名は口にしたことのない料理名と同じようなものだ。口にする必要もなければ、覚える必要もない――ツェルニーは素直に心からそう考えていたのだが、マドロックはそうでもなかったようで、鎧ごしにも僅かに感じ取れるほどすまなそうにしていた。
「私の本来の職業は音楽家です。こうして戦闘任務に駆り出されることは多くありませんから、あまりお気になさらないでください」
「音楽家……」
興味をひいたのか、マドロックの動きが止まる。おそらく、黒いマスクの向こうからこちらを見つめているのだろう。敵意はないのだろうが、はっきり意識を向けられると、独特の緊張感が肌に感じられる。長年、戦闘に身を置いていた者のもつ、無意識に刷り込まれた鋭さ。リターニアで貴族のゲストとして連れてこられた軍人たちに相対したときに感じた圧と同じだった。
「ええ。リターニアを中心に活動していました」
リターニア。
その単語に、マドロックの身体が再びぴくりと震えた。
マドロックは放浪の中で、リターニアの北部に位置する商業都市、ウォルモンド近辺に留まったことがあるという。ツェルニーがこうしてマドロックを呼びに来たのは、実のところその時の話を聞けないかと考えたからだった。
「マドロックさんは、リターニアに滞在したことがあると聞きました」
「ああ――だが……」
マドロックが言葉を詰まらせる。こちらを慮ったものではなく、純粋に陰鬱な、低い声音。どうやら、自分は話題を間違ったようだ。申し訳ありません、リターニア人として少し気になっただけです、とツェルニーが話題を回収すると、マドロックは静かに首を横に振った。
「リターニア人であるあなたが、リターニアの話を聞きたいのは当然だ」
こちらに向けていた身体を荒野の方へと戻し、マドロックは数秒の間を置いて言った。その声音は子守歌のように優しい。ツェルニーは静かに次の言葉を待った。
「私たちは非常事態のウォルモンドしか知らない。リターニアそのものを語ることはできないが、ただ……」
「ただ?」
「あのような時にあっても、リターニアの音楽は美しかった」
その言葉を聞いたとき、こちらを気遣ってそのように語ってくれたのかとツェルニーは考えたが、荒野の空を見つめ、かつて聞いた音を耳元に蘇らせているマドロックの様子は、音楽を愛し慈しむ人間のものであった。
それからマドロックは――ウォルモンドからマドロックの隊にやってきた感染者の歌や、状況を知るために手に入れたボロボロのラジオから流れる楽曲はとても素晴らしいものだったと、語ってくれた。
「サルカズの間にも多くの歌が伝わっているが、それらは仲間同士の歴史や繋がりを示すものだ。リターニアの音楽は、個人個人の気持ちを表す、手紙のようなものだと思った」
ツェルニーは、それを黙って聞いていた。
風が吹く。荒野の方向からやってきたその風は、廃墟の並ぶ路地を駆け抜けて、ガラスのなくなった窓を通り抜け、ヒュウと軽い音をたてた。その音に、ツェルニーとマドロックは同じタイミングで反応し、顔を街の方へ向けた。
図らずも顔を見合わせるような形になったことがおかしくて、ツェルニーは上品に微笑むと、しばらく閉じていた口を開いた。
「……今度、リターニアの名曲を演奏してご覧に入れましょう」
ツェルニーの言葉に、マドロックは僅かに首を傾けた。ワンテンポ遅れて聞こえてきたくぐもった声は愉快そうで、マドロックがマスクの向こうで笑ったのだということを、ツェルニーはワンテンポ遅れて理解した。
「ぜひ、あなたの作った曲も聞きたい」
ツェルニーは、マドロックの申し出に、腕を折り胸に添えると、恭しく頭を下げた。彼の耳についた飾りが揺れて、金属が触れ合う甲高く鳴くような音をたてる。
「はい。ロドスに戻ったら、最高の演奏会をご用意いたしましょう」
(今はいくらか、リターニアの空気が懐かしい)

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