スケルツァンド
(速度はビバーチェで)
「――本当に、大丈夫ですか。ツェルニーさんの病状は、決して軽度なものではないんですよ」
菫色の髪をした医療オペレーター――ハイビスカスが、腰に手を当てて再度確認する。ロドスの本艦を降りるまで、もう五回も同じようなことを言われた。その度に大丈夫だと答えているのだが、ハイビスカスにはその返答が理解できていないらしい。
「大丈夫です。今回の外出計画についてはきちんと届けを出していますし、危険だからこそ、ロドスの本艦にほとんど寄り添う形で走るのではありませんか」
タラップを降りきったツェルニーは、荒野に二本の足で立ち、タラップの一番下の段で手すりを掴んでいるハイビスカスを見上げた。
準備できましたよ、と一足先に荒野へ降り立ってバイクの最終チェックを行っていたロドススタッフが声を上げた。ありがとうございます、と声を張り上げる。ロドスが駆動する音と風の音が混じり、想像以上に声が届きにくい。ああ、すでに自分の予想を外れている。自分が思い描いていた景色とは、違っている。
ツェルニーはロドススタッフが手を離したバイクにまたがると、エンジンをかけた。低い唸りをあげて、バイクが震える。
ロドスは非常に「出来た」企業だ。ツェルニーがオペレーターとして一定時間働くと、休暇を出してくれる。
今回、ツェルニーはその与えられた休暇を使って、荒野をバイクで走ることにした。どこまでも広がる荒野を、ただまっすぐに走る。それだけだ。
二輪車の運転などそれまでしたことがなかったが、ロドスには感染者治療後の職業訓練の一つとして、運転技能の取得カリキュラムが存在した。有難くそれを利用して、ツェルニーは二輪車の運転ができるようになった。ツェルニーを目の敵にしている医療オペレーターたちは、「これ以上命を害するリスクを増やすな!」とおかしな主張をしていたけれど、運転技能の習得中は作曲に伴う無茶をしないと気付いてからは、やや態度が軟化した。ひどいものだ。
「本当に、気を付けてくださいね!」
タラップから、ハイビスカスが叫んでいる。長い髪が横に流れているのを彼女は手で押さえていた。その表情はツェルニーを心の底から心配するものだ。彼女はお節介なくらい、ツェルニーを気遣ってくれた。アフターグロー区で起きた事件をよく知っているからというのは勿論あるだろうが、ハイビスカスは概ね、自分の視界に入るすべての人に対して、この調子だ。身内である妹には、さらにお節介を焼いて何かと面倒がられている。それでも、すべての行動の根底にあるのは善意だ。
「わかっています、何かあったらすぐ戻りますよ! 緊急信号を送る端末も持ちました!」
腰に下げた端末を揺らすと、ハイビスカスの表情がわずかに和らいだ。
「休憩はこまめにとってくださいね! それから、直射日光に気を付けること! あとは……」
ハイビスカスの注意が背後から聞こえるなか、ツェルニーはバイクのグリップを握り、アクセルをふかした。エンジン音がハイビスカスの声をかき消す。
ほんのわずかな冒険だ。夜は冷える。二時間ほどロドスの本艦に並走する形で走ったら、ツェルニーは本艦へ戻るつもりだった。そんな少しであれば、やらなくとも同じかもしれない。だが――そう、見ておきたかったのだ。
かつて知り合いが夢見た景色が、果たしてどのようなものであるのか。
それは、希望の景色であるのか。
今の自分は自由だから、彼女の代わりに、見に行こうと思う。
(赤いスポーツカーは、さすがに無理だったけれど。)
(スケルツァンド:戯れるように)
旅の訪れ・了

コメント