3:大学3年のときの話。
小泉視点の、ちょっとした話です。
追加登場人物
「後輩」(兎城絵利衣/うしろえりい)
新田・小泉より2年下の、山岳部の後輩。さばさばした性格の女性。小泉のことは「とてもいい人だ」と気に入っているが、新田のことはなんだかよくない人だと警戒している。
レポートの「考察」をざっくりと打ち込んで、一度大きく伸びをする。もう少し思考を整理しないと、自分の満足のいく内容には届かなそうだ。頭が本調子でないのは、今日の夢見が最悪だったからだろう。
新田が――死ぬ夢を見た。
しかも、はじめてではない。
これで二回目だ。
一回目は歩道橋から転落して地面に叩きつけられ死んでいて、二回目は横断歩道を渡ろうとして車に轢かれて死んだ。どちらも俺はそばで新田が死ぬ様子をはじめから最後まで眺めていた。リアクションしたのかもしれないが、目が覚めてしばらくすると、細部は雑に拭い取られたかのように思い出せなくなっていて、俺がどんな風に新田が死ぬ様子を見ていたのかはわからない。
新田のことをドン臭い奴だ、と感じることはあれど、死んでほしいとか死にそうだとか、そんなことを考えたことはない――無意識の領域までは把握していないが。ただ、彼に恨みを抱くようなアクシデントは存在しない。
人が死ぬ夢というのは、悪夢の範疇に入るだろう。実際、新田が死ぬ夢を見て目が覚めたあとは、じっとりと嫌な感覚が全身にまとわりついていて、真夏の寝苦しい夜、全身に滲む汗が直接心の表面に滲んでいるような、ざわつく心持ちだった。夏を過ぎ、夜の気温は快適で額に汗は浮かんでいなかったが、俺は思わず手の甲で額を左から右へ拭っていた。
新田はよく悪夢を見ると言っていたから、その言葉が頭のどこかに残っていたのだろうか。しかし、振り返ってみれば、彼が時折ぽつぽつと話す「悪夢」の話には、人の死が出てこなかったように思う。一人で取り残されたり、迷子になったり、陰湿ないじめに参加させられたり。確かそういう種類の悪夢の話をしていた。なぜか俺は、それを新田らしいと思った。
俺はレポート作成のために立ち上げていた文章作成ソフトのかわりにWEBブラウザを立ち上げ、カーソルが点滅する白い箱に「人が死ぬ夢」と打ち込んだ。クリックすると、夢占いやら、夢診断やらの、信ぴょう性にかける解説サイトがいくつも並んだ。
「小泉先輩、何してるんですか?」
ハキハキとした声に驚いて振り返ると、山岳部の後輩が立っていた。彼女は入学年度が2つ下で、俺によく懐いてくれていた。
「驚かせてごめんなさい」
「いや、いいよ。俺が勝手に驚いただけだから」
なんとなく、WEBブラウザを閉じる。山が大好きなこの後輩は、俺のパソコンのデスクトップに設定されている長野の山の写真に、嬉しそうな笑顔を見せた。
「この前のやつですか?」
「そう、2週間前に登ったときのやつ」
写真目的の登山ではないから撮影枚数は多くないのだが、我ながらこの写真はうまく撮れたのだ。へえ、いいですね、と後輩が明るい声で答える。自分が良いと思っていたものを素直に褒められ、嬉しくなる。他の写真も見せてやろうと、俺は写真を収めたフォルダをクリックした。
ちょうどそのとき、部室の入り口のドアが開いた。
「あ、小泉だ」
どこか間の抜けた声に、後輩の顔に浮かぶ感情が負の方向へと偏る。部室に入ってきたのは新田だった。俺も、夢のことを思い出して、僅かに頬のあたりの筋肉が緊張する。
「私もいますけど」
「あ、うん。ごめん」
新田は俺たちがいるところまで歩いてくると、何してるの、と遠慮がちに尋ねた。後輩が俺の背後で、「なんでもないです」と刺々しさを隠しきれていない声で返答する。彼女は新田のことが好きでないようだった。俺に直接、「あんまり深入りしない方がいいですよ」と言ったことすらある。別に深入りしているつもりはない――多分。
「あなたこそ何か用ですか」
「いや、空きコマで暇だったから来ただけ」
「そうですか」
「まあ、そこはお前だって一緒だろ? そう突っかかるなよ」
俺の横で戸惑う新田の様子に、どうどうと後輩をなだめる。彼女も俺に用事はないはずだ。あるならば既に話している。彼女はそういうムダのない性格をしていた。
そんなムダのない後輩は俺に対して不満そうな視線を送ったが、すぐに気難しい猫のように圧を発したまま沈黙した。
「え、なんかしたかな……」
新田はぼそりとつぶやくと、肩にかけていたトートバッグから5つ入りの手のひらサイズのあんぱんの袋を取り出した。
「1個いる?」
新田なりに後輩の機嫌をとったつもりなのだろうが、彼女はそういう、あわよくばどうにかなるだろうという曖昧な行動が嫌いな性質だった。少し話してみれば、彼女のサバサバとした印象はわかるだろうに、そのあたりをうまく掴めないのがこの新田という男だ。後輩は眉をひそめたが、もらえるものはもらうことにしたようで、「もらいます」と言って新田が封を開けた袋からあんぱんを取り出した。新田の顔に僅かな安堵が滲む。
その様子をぼんやりと眺めながら、こいつは大学を卒業して、「大人」として生きていけるのだろうか、なんてことを小泉は考えた。もしかするとこの余計な心配が、あの夢となって現れたのかもしれない。新田は、古びたパイプ椅子に座って、後輩と同じくあんぱんを食べ始めていた。
「小泉も食べる?」
新田があんぱんの袋を俺の方にも差し出してくる。俺は鷹揚に「おう」と答えて、その袋を受け取った。俺は新田が死ぬ様子を見ながら、彼に手を伸ばしたのだろうか。
覚えていないがきっと、
( 。)

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