創作男男:新田×小泉まとめ

2:大学二年生のときの話。周囲にいろいろばれている。

ふいにワ、と不穏になるのが好きで。

追加登場人物
同期(三井充/みついみつる)
新田・小泉と山岳部の同期。経済学部。

 大学の図書館の自動ドアをくぐりながら、小泉光はリュックサックを背負い直した。リュックの中には定期考査用の教科書や資料が入っている。来週末〆切のレポートに必要な英語の専門書も借りたため、肩ひもが少し食い込むくらいの重量となっていた。あとはまっすぐ家に帰るだけだから耐えきれないほどではないが、一気に借りすぎたかもしれないな、と、ほんのり後悔未満の考えが頭をよぎるくらいの重さだ。
「お、小泉じゃん」
 図書館を出てすぐ目の前にある駐輪スペースにいた男が、こちらに手を振る。小泉と同じく長野大学山岳部に所属する、三井充だ。彼は入学年が一緒のいわゆる「同期」で、山岳部の活動の出席率は半分ほどだが、悪い奴ではなかった。経済学部の二年生。ほどよく気さくで、ほどよくゆるい。
「勉強してたの?」
 灰色のパーカーにジーパンというラフな格好をした三井は、慣れた動作で自転車の後輪に付属するスタンドを蹴り上げると、カラカラと車輪の回る音をさせながら、自転車を押して小泉の前までやってきた。
「いや。必要な本を借りたところ。帰って勉強する」
「真面目だなー」
「そうか?」
 小泉はよく他人から「真面目」と評価されていた。自分としては「真面目」と言われるたびに、そうやってわざわざ口に出されるほど真面目か?と、胸のうちで疑問に思っているのが正直なところだ。
 授業は休まず出席しているが、それは大学生として当然のことで、他にも多くの学生がこなしていることである。例えば、毎回授業のたびに予習・復習をして、授業の担当教官のところへ質問をしていれば真面目と言っていいだろうが、さすがにそこまではしていない。テスト勉強として復習するくらいだ。大体半年に一回のペースで復習するわけだから、ちょうどいい。それに、勉強だけしているわけではない。週三回バイトに入っているし、土日は山岳部の活動や、個人での登山も行っている。小泉が通う大学がある長野県は、多くの山に囲まれていた。登山好きの自分には最高のロケーションで、時々バイトを休ませてもらって、数日山から下りてこない山行も実行している。
「小泉は単位落としてないだろ? 俺、前期の単位2つ落とした」
「たしかにそれは不真面目だわ。単位はちゃんと取れよ」
「でも選択だからさ」
「選択でも必修でも一緒だろ」
「そういうところが真面目なんだって」
 三井が笑って、挨拶なしに自転車を押し始める。彼とは帰る方向が同じだ。一緒に帰ろうということだろう。
 そうならば。
 小泉は背負っていたリュックをおろすと、何も入っていなかった三井の自転車のカゴに収めた。
「重!」
 三井が大袈裟に声をあげる。自転車のスピードはまったく変わっていない。少しの重さを誇張しているだけなのはすぐわかった。
「あー、肩が楽になったー」
 小泉は肩ひもが食い込んでいた箇所を撫でさすった。ウィンドブレーカーのワシャワシャとした感触。正直、こうしてリュックを下ろして帰れるのは大変有り難い。普段はもっと思い登山用の荷物を背負って歩くこともあるが、登山用リュックは腰にベルトがついて、しっかりと重心の位置を維持できるようになっている。だが、通常のリュックでは重いものを入れると重心が下にずれて疲れてしまう。
「なんだよー」
 三井が抗議の声をあげるが、無視して彼の自転車の横に並び、歩き出す。本当に真面目な人間だったら、こういうこともしないのではないかと思う。やっぱり、自分はさほど真面目と言えないのではないか。
 広葉樹から落ちた葉を踏み締め、南門から大学を出る。仕事帰りにも夕方の買い物にも少し早い、中途半端な時間で、だだっ広い国道に人はほとんどいなかった。もちろん、授業がないときに限るが、こういう中途半端な時間に行動できるのは大学生の特権だろうと思う。小泉は大学一年のときに焦って授業を詰めすぎたので、二年目である今は、多少の余裕を持てていた。それでこうして中途半端な時間に帰ったり、図書館に寄ったりできるというわけだ。日常のなかにある自由を感じて、空きコマの間にうろつくのを小泉は気に入っていた。サークル棟にある山岳部の部室にもよく立ち寄って、年代物のニンテンドー64で遊ぶこともある。
「小泉は真面目って話だけどさ」
「その話題、続くんだ」
 嫌というわけではないが、さほど広がるテーマでもないだろう。小泉は真面目だと思う、そうかな、それで終わりだ。
「真面目っていうか、あれかもな。人間ならこうすべきだっていうハードルが高いっていうの? これ道徳って言うのかな? 道徳心があるってやつ?」
「道徳?」
 ピンとこなくて、小泉は単純に三井が口にした単語を繰り返した。
「他人には優しくしましょうとか、嘘はついてはだめですとか、勉強はサボらずやりましょうとか、そういうルールみたいなやつ。それがすごい、しっかりしてるっていうか、強固っていうか」
「なんか聖人君子みたいに言うけど、別にそうでもないって」
 自分を犠牲にしてまで他人のために何かするなんてことはできない。できる範囲のなかでは誰かの役に立つ方がいいけれど、その範囲もたかが知れている。道徳の授業で善しとされるような行いには従った方がいいけれど、いつもそうしているわけにはいかない。現実はそう簡単ではない。
 俺なんて普通の奴だって、と答えようとして口を開きかけ。
「新田と寝てんのも、その延長なの?」
 さらりと放たれた三井の言葉に、小泉の足が止まる。
 新田――新田明朗は、三井と同じ、山岳部の同期だ。
「かわいそうな奴だから、同情してんの? 俺、わかんなくてさ。別に小泉は新田が好きってわけじゃなさそうだし、でも、新田は小泉と寝たことあるって言うし」
「言ったの?」
「言った。あ、最初から言ったわけじゃないんだけど。最初は聞いてもさすがに誤魔化そうとしてたけど、あいつ、嘘つくの下手じゃん。嘘つくなよって2回くらい殴ったら教えてくれた」
「お前、何やってんの?」
 揶揄われているとわかった方が、何倍も、何十倍もましだった。しかし三井は視線を前方の斜め下に向けて、無表情までいかずとも感情の乏しい顔で小泉の横に自転車のハンドルを握ったまま立ち止まっていた。
「土岐先輩があいつら寝てるんだぜって言うからさ。気になってたんだけど、なんていうか新田ってさ、どこまでいけんだろ、って思うときあるじゃん。…ん? もしかして、小泉もそういうことだったの?」
「いや、お前、マジで言ってんの?」
 どうしてこんなことを聞いてくるだろう、とか、殴るなんてひどい、とか、さまざまな感情がぐちゃぐちゃと体のなかを掻き回している。そのなかで頭の一部はやけに冷えていて、新田はきっと半泣きで、座り込んだまま三井を見上げて怯えた顔をしていたんだろうな、と、見てきたかのように鮮明にシーンを思い浮かべることができた。
 ――新田は、そういう顔をする男だから。
「あいつ、別に弱いわけじゃないんだよな。けっこうめんどくさい奴だし。それなのに、ああ、ここまで踏み込んじゃっていいんだな、ってところまで、踏み込めるっていうか。他人の、普段触れない部分に簡単に触れるっていうか。でも触って壊れるでも汚れるわけでもなくて、元通りに戻るから、こっちも気兼ねなく触れるっていうかさ」
 嫌だ。
 三井の言うことが、わかりかけてしまうのが嫌だ。
 新田が小泉の肌に触れるとき、切実な、切羽詰まった空気がたしかにあるのだけれど、これ以上近づいたら壊れてしまうと感じさせる繊細な空気があるのだけれど、実際に触れ合っても壊れることはないのだ。翌日には元に戻っている。なかったように振る舞う。だから小泉は、何度も、間違えているのだ。
 いつもはじめに戻るから。
 ――彼とは、あくまで友達のはずなのに。
 それ以上のことを知っている。ただの友達というには、お互いの体温と内部を知りすぎている。見なくていいところまで見すぎている。
「俺は、別に、」
 小泉の口から発せられた声の端が震えている。三井はぽっかりと空いた穴を感じさせる変化のない二つの黒い瞳で、小泉を見つめた。
「小泉は」
 三井の言葉の続きを待つために口を閉じ、唾を飲み込む。
「新田に手を掴まれたら離せなさそうだもんな」
 行かないでほしい、と、今にも消えそうな声で言われて、帰ろうとした小泉の腕を掴んだ、指先の感触を思い出した。振り払おうと思えば振り払うことができたはずなのに、小泉はそうすることができなかった。
「真面目なんだよな。同情とかじゃなくて、すがってきた手を離すのは、人間としてどうなんだろうっていうさ」
 放っておくことができなかった。
「それってどうなんだろうな。たぶん、振り払った方がいい手もあるよ」
 小泉は三井の自転車のカゴに入っていたリュックを乱暴に掴むと、前に抱えるようにして、足早に歩き始めた。三井はその場に留まったまま、ついてこなかった。

 部屋に帰って携帯電話を確認すると、新田から次回の山岳部の活動について連絡がきていた。そのやりとりは一般的な友達に送られるもので、小泉は密かに安堵した。自分たちは友達なんだ。だから、あの手を振りほどく方がよかったなんて、そんなことはないんだ。友達ならば、助けてあげるべきだから。

 

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