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一七XX年、東欧。
さすがに、自分が生きていた時代から二世紀離れると、まるで世界にいることが間違いであるような違和感を覚える。服については現地で調達したものを身に着けたからよいものの、やはり私の容姿はこの場所においては少し浮いているようだ。余計な魔力を消費するわけにはいかないと変装の類は避けてきたが、さすがに厳しい。
私は人気の少ない裏道に入ると、一息つき、今まで浴びてきた疑いの視線を振り払うように頭を振った。壁に背中を預け、高い石の建物で遮られた狭い空を仰ぐ。
さて、どのような変装が最適だろうか――と思案を始めたそのとき。
すぐ近くからガタリと音がした。
神経を集中させ音のした方へ顔を向けると、裏道に放置されたごみの山のなかからまだ十歳にも満たないであろう少女がはい出してくるところだった。少女はすぐ、壁に寄りかかっている私に気が付くと、みるみるその幼さの残る顔に絶望を満たして固まっていた。少女は薄栗色の髪に碧眼で、そばかすがぱらぱらと鼻のあたりに散っている。頭の後ろでまとめた髪は乱れており、ぴこぴこと毛がはねている。髪をまとめているリボンや服から、貧困層の人間ではないだろうと予想がついた。むしろ、それなりの家に生まれた子どものようだ。
少女――名前を最後まで聞かなかったので仮にAとする――は、中途半端な態勢のまま、怯え切った表情で私を見つめた。逃げようとはしない。足がすくんで動かないというよりは、目の前に立つ私が敵か味方か判断がつかないというわけだろう。私はパイプを取り出し、吸い口を唇で挟むと息を吸い込んだ。Aは私の一挙手一投足にびくびくと体を震わせている。
「何か用かい」
「あなたは……」
そう言いかけたAは、すぐに口を閉じた。私の方を警戒丸出しの表情で睨み付ける。私はパイプの煙をくゆらせながらAの言葉を待った。
Aは黙っている。
数分の沈黙の後、私がしびれを切らしてAにいくつか質問を重ねようとしたちょうどその瞬間に、バタバタと数人が走ってくる音が聞こえ、表通りからこの道へ入る曲がり角を人影が遮った。Aが慌てて立ち上がり、人影と反対側――つまり私の方へ数歩よろけるように歩く。
表通りの方が明るく、逆光となるせいで人影がどのような顔をしているのかは判別できないが、「いたぞ!」「あいつだ!」と早口で叫んでいる様子から察するに――これくらいならば探偵でなくとも推測できるだろう――Aのことを追っている輩らしかった。
どのような事件に巻き込まれているのか、これだけではわからないが、Aの服に返り血はなく、何か物を抱えていることもない。Aが犯罪を起こしたという線は薄そうだ。
「助けて!」
Aが服の裾にすがりついて叫んだ。
私に彼女を助ける義務はない。ましてやこの身が目立つことは避けなければならない。
だけれど私は。
「戦闘は探偵の本分ではないのだが」
彼女の声に、応えてしまった。
一歩前に出て彼女をかばうように立つ。現れた男たちは予期せぬ私の存在にざわついたが、すぐに覚悟を決めてじりじりと距離を詰めてきた。前へ突き出された各々の手には刃物が握られている。ナイフというより、あれは短刀と言った方がよさそうだ。
「さて」
カツン、とステッキの先を地面に打ち付けて私は言った。
「きたまえ」
Aが私の服の裾をより強く握りしめ、ぎゅっと足のあたりに身を押し付けるのがわかった。
「大丈夫かい」
気絶した数人の男を放置し、私はAの前にしゃがみ込んだ。Aはすっかり私のことを味方だと信じているようで、キラキラと瞳を輝かせ、しきりに頷いている。
「ありがとう! あなたのお名前は?」
「名乗るほどの名前はないよ。強いて言うなら――探偵だ。しがない探偵だよ」
「たんてい?」
聞き慣れない単語なのか、Aは首をかしげて、私が口にした音をそのまま繰り返した。
「ああ、探偵だ。事件の真相を見破る者、世界の謎を解き明かす者だよ」
Aは無邪気に笑うとしゃがむ私の膝に手を置いた。本来ならば今、この場にあったのはこの少女の死体であったかもしれないのだ。死が近くまで迫っていたというのに、Aの存在はあまりに生き生きとしていた。
「あなたは私の英雄だわ!」
Aの言葉に、私は何も答えることができなかった。
今の私の行為は、本来の目的からすればイレギュラーなものだ。その裏には、少女を救うためという正義ではなく、自分のためというエゴが存在したことを私は自覚していた。
私はAの危機を救うことで、逆に救われたのだろう。
私の正しさを、私に押し込めたのだろう。
「よく聞くんだ。無事に逃げる方法を、キミに教えよう」
無事に逃げて、生きてくれと私は心の底から願いながら、Aに安全な逃げ道を教示した。私がここにいた意味を、どうか私に与えてくれと、願った。

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