欲塵の旋律

 ピアノが最初の一音を発した瞬間、客席に座る者が皆、意識をすっと透明にして、耳に全神経を集中させたのがわかった。権力闘争と特権意識で塗り固められた蝋人形のような彼らが、純粋に目の前から聞こえてくる音にその自我を動員している。
 プログラムの一曲目に記されていた、「自由への賛歌」のメロディーが響く。ここに来る貴族たちの大半は、「自由への賛歌」を何かしらの手段で聴いたことがあるだろう。単純にツェルニーの楽曲の愛好者もいるだろうが、コンサート後に訳知り顔で感想を語る際のために予習してきた者も多いに違いなかった。私も、はじめてツェルニーのコンサートに来たときはそうだった。彼の音楽というよりは、「感染者の作曲家」というラベルに興味をもったのだ。
 しかし今ではすっかりツェルニーの音楽そのものにはまってしまった。新しい曲が出ればこのように記念コンサートへ出かけているし、楽譜も初版で取り寄せている。
 私の祖父はウルサス出身の画家がサーミから着想を得た絵画の連作を買い集めて別荘に展示していた。少し前までは寂しい光景を描いた妄想の産物であるそれらを、高い金を払って手元に置く意味が理解できなかったが、今ならば十分に理解できる。
 芸術を、私のものにしたいという欲望を理解できる。
 私は滑らかに大きな手を動かし美しい旋律を生み出すツェルニーの、頭部に目を向けた。右の角についたアクセサリーが強くまぶしいライトの光を反射している。うつむいて鍵盤に向けられていた顔が、音が跳ねるのにあわせてさっと上げられると、きらりとアクセサリーが光った。まるで彼の音楽の一部になれたようで、心地よい。嗚呼、なんて美しい光景だろう――と私は思った。

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