241212_記念SS_2

「足りない。癒しが」
 私の向かいで真剣に仕事をしていたはずの同僚——柳木は突然そう言って椅子から立ち上がった。勢いでキャスター付きの椅子が彼女の後ろを滑っていく。
「お、お疲れ様です……」
 夜10時。捜査一課に残っているのは柳木と私のみだ。もう一人、私の同期である喜村という男もまだ帰っていなかったが、「コーヒーを買ってくる」と言ったまま戻ってこない。どこかで限界を迎えて倒れているのかもしれない。そろそろ探しに行った方がいいだろうか。
 私と柳木、喜村と千明の四名は、ここ1ヶ月ほど神有区を騒がせている連続強盗事件を担当していた。しばらく捜査は膠着していたが、千明のひらめきにより、被害者と繋がりがありそうな半グレ集団の存在が昨日、判明した。その半グレ集団に関する捜査で私たちは昨日から今まで、帰宅せず仕事しっぱなしなのだ。ここにいない千明は、件の半グレ集団を追うために雨のなか走り回っていたのが祟り、朝から高熱を出して休んでいる。千明自身は出勤する意思を見せたが、私と喜村でどうにか宥めて、自宅で療養してもらうこととなった。と言っても、彼は刑事になるために生まれたような男であるから、自宅で布団に入りつつ、今回の事件について思いを巡らせ続けているのだろう。
 そして神有区警察署の捜査一課のエースである千明が突然抜けたことは痛く、私たちの仕事は普段よりも時間がかかっていた。そのせいで、今まで休みなしに働くことになっていた。正直、不甲斐ないと思う。喜村や柳木はよくやってくれている。足を引っ張っているのはおそらく私だ。私はまだまだ、千明のような刑事にはなれていない。
 だから、疲労から「癒しが足りない」と嘆く柳木に対して、何か労いをするべきなのは私だろう。夜食でも買ってこようかと、立ち上がり、声をかけようと試みる——が、柳木はスマートフォンを片手にぴゅーと部屋の外へ出ていった。耳を澄ましてみれば、廊下から柳木の声が聞こえてくる。時折沈黙が挟まることから、誰かに電話しているようだとわかった。
 私はとりあえず腰を下ろし、また仕事を再開した。
 柳木はすぐに戻ってきたが、数分経つとまた部屋から出ていった。何か、気になることがあるのだろうか。そろそろ柳木にも帰ってもらって、あとは私がどうにかするのが良いかもしれない。一人暮らしだから、数日帰らなくても誰かに迷惑がかかるわけでもないのだ。
 ガチャと扉の開く音がする。ただいまーと柳木の声がしたので、私はパソコンから顔をあげ、扉の方に向けて「よければ今日はもう——」と話しかけて、止まった。
「はあ〜〜癒される〜〜」
「柳木先輩、あの、びっくりしてます、あの人」
 柳木が入ってきた事実は間違いない。しかし彼女は、髪を長くまっすぐに伸ばした女性に背中側から抱きついていた。柳木に抱きつかれて困った様子の女性と目があう。彼女は苦笑すると、コンビニのものらしい白いビニール袋を持ち上げた。
「よかったらと思って、肉まん買ってきたんですけど」
「はあ〜〜なんて気が遣える子なのかしら。本当にいい子〜〜〜癒される〜〜〜」
 彼女の後ろから柳木のくぐもった声が聞こえる。
「もう明音以外の人類はいらない……」
「え! そんなことないですよ! 人類、必要ですよ!」
「ううん、もう明音だけでいい……」
「すごく疲れてる!」
 背中に張り付いた柳木の極論に、女性はアワアワと慌てた様子を見せたが、柳木が動かないせいでその場で立ち尽くすことしかできないようだった。ひとまず柳木の頭を撫で始めた彼女を見て私は立ち上がると、近づいて彼女が持っていたビニール袋を受け取った。
「柳木さんのお知り合いですか?」
「はい、中学のときの後輩で」
「明音に手を出したら逮捕するから」
 私と彼女の会話に柳木の声が割って入る。
「ただ話しかけてくれただけですよ、先輩」
「わからないじゃない。明音はかわいいから」
「えへへ〜」
 警察署に似つかわしくない、(片方だけ)ほのぼのとした会話に体の力が抜ける。おそらく柳木は「癒し」を求めて彼女に連絡をとり、来てもらったのだろう。
「来てもらってありがとね、明音〜」
「近くにいたんで全然大丈夫です!」
 ぱ、とひまわりのように笑う明音に、柳木が再び呻く。確実に癒しは得られているようだった。彼女のことを何も知らない私ですら、人間がみんな彼女のようであれば、私たちはもっと暇であるはずだ、と考えてしまう。柳木が癒しを求めて彼女を呼んだのも、理解はできる。
「私は仕事に戻りますが、どうぞごゆっくり。そのあたりの席に座っていただいても構いません。……と言っても、ここに長居したいとは思わないでしょうが……」
 私の言葉に、彼女は再びニコニコと明るい笑みを浮かべた。同時に、後ろから柳木の声が聞こえてくる。
「あと2分〜」
「好きなだけどうぞ〜」
 できることはなさそうだ、と席に戻ろうとした私に、彼女が「肉まん、どうぞ」と声をかけてきた。私は会釈して言われたとおり、ビニール袋からまだぬくもりのある肉まんを取り出すと、自席に戻って一口かじった。

 

柳木さんが明音ちゃん大好きなのが本当にツボでしてね……ときどき明音ちゃんを吸っててほしい(何?)
お誕生日おめでとう明音ちゃん!

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