なかつの色々呟き。
最も無配慮なところです。SNSが沈没したときのシェルターでもある。
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最終更新2026/02/01 10:50:14
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登録日2024/2/18
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誕生日6/8
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「〇〇は幸せだったのかなぁ」と私が呟いたら、「幸せかどうかなんて他人が決められないよ!」とフォロワーに言われたことが、いまだに刺さっている(やりとりはもっと違うものだったかもしれないが、概ねこういう意味の会話をした)。
私はたしかにそうか!と思った。
会社の後輩は「幸せとは勘違いだ」と言っていた。シビアな意見だが、これにも納得する。この台詞を言ったのが、非常に優しく、他人を慮ることのできる後輩だったので、かなり凄みがあった。
上記の言葉を聞いてから、私は「幸せ」とは何だろうなと考え続けている。
私はずっと二次創作をしているが、そのなかでよく幸せについて書くことがある。より詳細にいえば、幸せであっただろう時代の好きCP二人を書くのが好きだ。つまり現在は幸せの状態でない(と私は思っている)ということなのだが、過去にあった確かな幸せを感じる時間を書くのが好きだ。私はこれをかつて「幸福の葬式をしている」(あるいは「幸福の墓守である」)と表現した。かつてあった幸福を弔い、その墓を守る心持ちで二次創作の小説を書く。
以前にも似たようなことを書いた(この記事にある)。
だから、「他人が幸せを決められない」という言葉はすごく衝撃で、「え、私の二次創作って全部だめかも!?」という気持ちにも一瞬なったのだが、それでもやめずに「お前たちがかつて幸せであった時間は確かに存在した」という気持ちを二次創作に込めている。
これは全部エゴかもしれない。いや、そうなのだろう。他人がその人を幸せであるかどうか判断することはできない。
ただ、それでも私は幸福を勝手に弔って泣く。
その身勝手さをわかった状態で、私はアークナイツ(非公式)豪華客船アンソロに寄稿した小説を書いた。ちょうど昨日のWEBオンリーにあわせて、アンソロが限定全文WEB公開されたので、自分が寄稿したその小説を読み返したのだが、いやはや自分の思想がめちゃ滲んでいる。というか、私が希望だと思っていることが詰まっている。その小説に出てくるキャラは、己が選別した才能ある人々を、自分ができる限りのことをする「楽園」へ連れて行くことにする。環境によって才能が発揮されないような子どもたちは誘拐の形すらとって連れて行く。もちろん、「それでいいと思っているのか」と責められるわけだが、そのキャラは「今より幸せになれるはずだ」と断言する。読み返していて、なんとまあ、私の考えているあれこれが滲んでいるものだなあと改めて思った。
(だが、昨日の全文公開時に「面白かった」という感想をもらえたので、とりあえずほっとした)
ってか、冒頭がハーモニー(伊藤計劃)の引用からはじまるとか、分かりやすすぎるだろ。思想が。
書きたいこと書いたからもういいか。資料の読み方の授業の課題、漢文と変形仮名文を読むのをやらなくては!!だから早起きしたんだ…こんなものを書いている場合ではなかった……
「さて、どうかしらね。でも、もしかすると『楽園』にたどり着くまでのこの六時間が、最も幸福な時間だったかもしれないわね。希望も幸福も、夢に見ているくらいがちょうどいいのかもしれない」
↑豪華客船アンソロの寄稿文を読み返していて、最後のほうにあるこの台詞はうまく書けたなと思っている。そういうものかもしれない、幸福というものは。