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2025年10月6日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
TLに「認知の歪みを直したい」という投稿が見えて、「すべてを正しく認識できるなんてことある!?」と(脳内で)絶叫してしまった。もちろん「認知の歪み」というワードがあるのは知っているし、その人がそういう意図で発言したわけではないのもわかっている。ただ、自ら「認知の歪みがあるのはわかっているので直したい」と発言してしまう人がいる現実に直面して(脳内で)叫びたくなったのだ。
気持ちはわかる。インターネット、もっと断定的にいうならSNSを通じて、我々は自分より正しくみえる人を視認しやすくなった。そして正しくない人が正される様を見せつけられてきた(もちろんそれ以外もみている)。
私は、こういう、「正しくあろう」という流れには「うるせぇ!」と過剰に反応してしまう。イマジナリー大衆に威嚇してしまう。最近読んでる本でそのあたりに懐疑的というか、問題視されている点というのもあるし、何より私がそもそも正しくない。私の萌えを突き詰めると「ハラスメントと搾取」だなと総括されはじめてきた。日々、「私の嗜好はなんて終わってるんだ……」と落ち込んでいる。一応社会人をやって社会に貢献しているつもりなのに、これ以上どう「正しく」あれというのだ!?と勝手にキレている。なんかこの先に発狂(ここはいわゆる45歳で壊れるみたいな文脈です)がある気がする。終わりたくない!! でもこの焦燥がそもそも毒されているのかもしれない。みんな!私はこれからもイマジナリー大衆に威嚇し続けるかも!
ちなみに「善」は好き!でも「善」って私にとって暴力の匂いがない概念だからとても弱い!殴られても殴り返せないのが善の女!(私は善の女(概念)が好き。アブリボンちゃんとかかなり善の女概念。)
余談だが、「認知の歪み」というワードは、専門的にはもう使わなくなっているらしい。知らなかった。以下に一つだけあげるが、ほかにも同じような話が出ているから、そうなのだろう。
そもそも、正しい物の見方(認知)というのは何なんだろう。正しい物の見方を教えてくれるのは何なんだろう。対話型AIかな。
対話型AI、オタクに思ったより広まっていて驚く。私は調べ物、多少間違っていても害はない英訳に使っている。例えばオタク語りを聞いてもらうなんていうのは、私のなかではコスト>メリット(このコストというのは電力とかそういう、資源コストである)なので、やっていない。私が科学主義者というのも大いに関係している。最先端技術は私なんぞに使うより、科学研究に使ってほしい。
#ツイート #イマジナリー大衆 #考えたこと
気持ちはわかる。インターネット、もっと断定的にいうならSNSを通じて、我々は自分より正しくみえる人を視認しやすくなった。そして正しくない人が正される様を見せつけられてきた(もちろんそれ以外もみている)。
私は、こういう、「正しくあろう」という流れには「うるせぇ!」と過剰に反応してしまう。イマジナリー大衆に威嚇してしまう。最近読んでる本でそのあたりに懐疑的というか、問題視されている点というのもあるし、何より私がそもそも正しくない。私の萌えを突き詰めると「ハラスメントと搾取」だなと総括されはじめてきた。日々、「私の嗜好はなんて終わってるんだ……」と落ち込んでいる。一応社会人をやって社会に貢献しているつもりなのに、これ以上どう「正しく」あれというのだ!?と勝手にキレている。なんかこの先に発狂(ここはいわゆる45歳で壊れるみたいな文脈です)がある気がする。終わりたくない!! でもこの焦燥がそもそも毒されているのかもしれない。みんな!私はこれからもイマジナリー大衆に威嚇し続けるかも!
ちなみに「善」は好き!でも「善」って私にとって暴力の匂いがない概念だからとても弱い!殴られても殴り返せないのが善の女!(私は善の女(概念)が好き。アブリボンちゃんとかかなり善の女概念。)
余談だが、「認知の歪み」というワードは、専門的にはもう使わなくなっているらしい。知らなかった。以下に一つだけあげるが、ほかにも同じような話が出ているから、そうなのだろう。
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そもそも、正しい物の見方(認知)というのは何なんだろう。正しい物の見方を教えてくれるのは何なんだろう。対話型AIかな。
対話型AI、オタクに思ったより広まっていて驚く。私は調べ物、多少間違っていても害はない英訳に使っている。例えばオタク語りを聞いてもらうなんていうのは、私のなかではコスト>メリット(このコストというのは電力とかそういう、資源コストである)なので、やっていない。私が科学主義者というのも大いに関係している。最先端技術は私なんぞに使うより、科学研究に使ってほしい。
#ツイート #イマジナリー大衆 #考えたこと
2025年10月5日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
自分の思考の凝り固まり方に辟易したり、蚊に刺されてぎゃわ~!となっている今日この頃だが、周囲の人々がけっこうその思考の煮凝りを「ふーん」と見てくれる人であることが多くて、幸せなことだな~と思う。
昨日は国会図書館に行って本登録を行い、「国会図書館ってすげえ!」となってきた。国会図書館ってすげえ!映画「46億年の恋」の原作として探していた「少年Aえれじぃ」が国会図書館では読めることに気づいてテンションがあがりました。
#ツイート
昨日は国会図書館に行って本登録を行い、「国会図書館ってすげえ!」となってきた。国会図書館ってすげえ!映画「46億年の恋」の原作として探していた「少年Aえれじぃ」が国会図書館では読めることに気づいてテンションがあがりました。
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今から本当にわけのわからない話をする。
私は新田明朗というキャラクターについて「自分のオタク人生後期の最高傑作だ……」としみじみ考えているくらいには自分的に「よくできた」キャラクターであると考えているのだけれど、それは彼が私の萌えの中核にある「搾取」と「ハラスメント」に対して、する側/される側の両側からアプローチできるという強力な旨みも確かにあるのに加えて、私が(最近)よく見かける「中年男性(のケア)」的なものに触れているからだと思う。つまり、私が好んで触れている現代批評的な観点も新田明朗には加わっているのだ。
この「中年男性(のケア)」的なものというのは、例えば宇◯常寛さんがずっと嫌がっている、父であることに寄りかかって飲みニケーションをする男性的なもの、ph◯さんのベストセラー「パーティーが終わって
中年が始まる」で触れられているもの、あるいは豊◯銀行氏の陰湿金融文学に書かれる銀行の上司的なもの。
どうにかしないと、たぶん日本やばいんじゃね? といろんな人が言っているように見えるそれ。
そのあたりの嫌な感じ、うっすらと現代においては「理知的ではない」と感じられるものを、新田明朗ではキャラクターに落とし込めたかな、という気がしている。
この点において、平行史(新田ではなくて海老沢安国氏のいる第二次登山隊が狂気山脈に登頂した世界線)で新田が幸せになるのは本当にエポックというか、象徴的な結末だったと思う。彼は海老沢安国に存在を求められて自立し、同居を解消して一人で山小屋に暮らすことになる(ということに、私の頭のなかではなっている)。現代において、前述したあれこれで言及されているように、中年男性のケアが難しい状況になっている。平行史の新田は、海老沢安国氏によってうまくケアされて、自分をよいしょしてくれる存在も、母も子も、搾取やハラスメントも必要とせずに自立して、自分が望む暮らしを求め、時折(頻繁に、かもしれない)訪ねてくる海老沢安国氏を拒絶することはない。おそらく彼の暮らしは、とても穏やかで、彼自身にとって満足いくものとなっただろう。私はそんなつもりがなかったから悔しくて、負け惜しみで「最後は一人で死ぬんだ、ケッ!」と彼に言い捨てているが、彼はケアされた中年男性像を現しているのではと思い、それなりに貴重なものとして大事にしている。
一方で正史(新田を含む第二次登山隊が狂気山脈に登頂した世界線、一応ベースとなる世界線。狂気山脈PCとして新田明朗を作ったのだから…。)の新田明朗は、いつまでもケアされない中年男性としてのキャラクターだろう。私はそこに立ち現れる「理知的ではない」振る舞いを消費することで、その「理知的ではない」振る舞い(あるいは存在)を非常に胡乱な形でけなしているのかもしれない。まあ単純に萌えに消化しているだけだが……。正史のメイン絡みである小泉光氏との関係性が決して良いものではないのも、私が感じる中年男性への批判的な目に通じるものがあるだろう。新田に対して小泉光氏はとてもしっかりしていて、まともだ。新田にある(とても雑な言い方をするが)昭和臭は、かなり脱臭されている。この対比もかなりいい出来である(と、私は思う)。
私が新田明朗を、自ら作り上げておきながら、自ら撫でまわし続けているのは、以上でみてきたように、私が好んで触れている、現代批評から得たものを新田に背負わせることができているからだろう。
追伸
こんなことを色々思っているが、見かけ上は「情けない先輩」くらいに収めておけるのも、新田明朗の便利な(?)ところである。時折私の現代批評的萌えを嗅ぎとってくださる方がいるが、本当に有り難い限りである。
※宇野さんの最新noteを読んで、「ああ……」となり、書きました。
#ツイート #今日の胡乱 #探索者の話 #新田明朗 #萌え語り