なかつ
@nktu_pdu
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なかつの色々呟き。
最も無配慮なところです。SNSが沈没したときのシェルターでもある。

  • 最終更新
    2026/02/01 10:50:14
  • 登録日
    2024/2/18
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わたしの好きなものの原点と根底は、ジャンル的には「ホラー」で、わたしは中学生の自分から、ホラーテイストのものをよく好んでいた。
ホラーに触れたきっかけは、母が心霊動画とか怪談とかが好きで、テレビでよく見ていたからだ。小学生の頃には、家には講談社から出ている「学校の怪談」(緑と赤のカラーリングのやつだ)がおそらく全冊あった。それから、加藤晴彦が好きだったから、彼が出ているという理由で映画「アナザヘヴン」を見て(BL的な要素で萌えていたから、中学に入ってからのことだと思う)、ホラー映画やホラー小説にも足を突っ込み、足を恐怖の泥まみれにして、そこから離れなくなった。
ホラーというジャンルはやっぱり怖いものなので、苦手な人も多い。ちなみにわたしもものすごく怖がりで、本当に怖い映像は目を逸らしてみたり、自己責任系は読まずにスルーしたりする。だから自分が好きなものが誰かにとってはそうではない、という状況には慣れている方だと思う。この思いは、わたしが最も好きな作家である瀬名秀明先生が、SF作家クラブの会長をやっているときにいろいろと揉めて、疲弊している様をほぼリアルタイムでみた経験により強まったところがある。今になってみると裏でいろいろあったのかもしれないと思えるが、当時は好きな小説家が一方的に疲弊させられていくようにしか見えなかった。わたしが好きなものが受け入れられないという状況として、そこそこ影響を受けている。

そのあたりの経験があってか、まあわたしは好きだけど、一般的には嫌な顔されるかもね、というテンションを保つことがわりと容易だった。例えば精神的にしんどい物語も積極的に鑑賞するし、ガチで萌えを突き詰めるとハーマトフィリア(失態性愛)(すごい言葉であるが、人が失敗したり責められたりしているところに興奮する、というものらしい。つい先日知って、「これやんけ〜」と大の字になった)に行き着く気がしている。

わたしはわたしのこの好みや嗜好を否定するつもりはない。だが、誰かを傷つく場面に喜ぶような人間でない方が、どれだけ健全であっただろう、楽だっただろうと思うことはある。大人になって、社会人としてまあ部下がいるような立場になってきて、社会を構成する人間として未来を考える時期になったここ数年、特にしんどいと感じる。こんな嗜好をもつわたしが、社会人として正しいのか? とふと、考えてしまう。
もちろん、社会の一人としてのわたしは、正しくあろうと努力している。社会人としてのふるまいは、嗜好とは違うレイヤーのことなのだから、自分のできる範囲のなかできちんと応答していきたいと考えている。現実での振る舞いとわたしの嗜好は別で、わたしは現実で誰かが理不尽に苦しんだり傷ついたりすることを肯定しない。

なんでこうなっちゃったのかはわからない。わたしに多大な影響を与えたフィクションはいくらでも思いつくが、同じものを見てもこうならなかった人間もたくさんいるはずだ。こればかりはしょうがない。
わたしはわたしの人生と思考を楽しんでいるが、「ちがったら楽だったのかな」と思うことはある。フィクションのなかで傷つく人たちに喜んだあとに、「その分、現実ではきちんとするから許してくれ」と誰にともなくプレッシャーを感じていることがある。
わたしはもう、これがこじらせているのかどうかもわからない。ただ、時々無性に焦燥感を覚える。本当にこれでいいのだろうか、わたしはおかしいのではないか、と考えることがある。

いろんな人がいて、現実世界において秩序を保つ行いができる限りは、存在を否定する理由はないだろう。
だからどうか、そっとしておいてくれ。
そんな風に思うときがある。ついさっきも、そう思った。

#ツイート  #オタク #考えたこと #ホラーと私