2025年7月25日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2025年7月21日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2025年7月15日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
「物語」を一気に見たり読んだりして、楽しめているとき、ああ、まだ自分は生きているなと思う。
大袈裟に聞こえるだろうが。
この土日は大したことをしてなくてひどく落ち込んだが、能面検事シリーズの2巻、3巻を一気に読んだ。
#ツイート
大袈裟に聞こえるだろうが。
この土日は大したことをしてなくてひどく落ち込んだが、能面検事シリーズの2巻、3巻を一気に読んだ。
#ツイート
2025年7月10日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2025年7月8日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
すごい漫画を読んだ。嬉しい。
田川とまた先生の「CHANGE THE WORLD」、おもしれぇ〜〜〜〜! この熱さ、そしてカルチャーに対する尊敬、信頼、希望の雰囲気が大好き!
ウラ漫でたくさん宣伝されていて、まんまと読んだのだけど、今まで読まなかったことを後悔しています。これはすごい漫画だ。大好き。藤沢くんかっこいい。絵の迫力もすごい。演劇タイトルの出方がかっこいい! 決めゴマもちょう良い!
メイン三人のコミュニケーションも丁寧で、わからないことを否定しなくて、大好き!
まだマンガワンにある分の途中までしか読めてないけど、最新話まで数日中に読み進めるつもりです。
(1巻も買った!2巻ももうすぐ発売なので楽しみ!! 1巻が、すごくいいところで終わってるから……これからも読み直したくなるのはその次の話だから……)
作中に出てきた「反復かつ連続」(ままごと)も見た。これがまた素晴らしい短編演劇! 演劇ってやっぱりすげえぜ。「CHANGE THE WORLD」は田川先生の演劇愛も感じられて、テンションが上がる。実際にある演劇が出てくるから、実際の演劇にも興味を持てる。
というか、序盤でチェルフィッチュ出てくるとは思わなかった! 個人的には、藤沢くんが「よくわからない」と思っているところに好感がもてた。チェルフィッチュは普通の演劇ではないから、よくわからないも十分理解できる感想である。
なお、生で公演を見たことがないので、チェルフィッチュについて語るということはできないが、映像やアート作品として展示されていたものを見る限り、私はあの台詞群や身体性は好き。
それと、「CHANGE THE WORLD」を読んでいて、朝井リョウ「何様」収録の「きみだけの絶対」を思い出した。ギンジ! お前が演劇続けているのって、きっとこういうことがあるからだよな! と勝手に肩を叩きたくなった。ギンジ! 元気にしているか? お前はまだ演劇をやっているか? できれば続けられる限り続けてほしいよ。
しかし演劇はすごいな。
私は演劇より映画の方が好きだという自覚があるので、演劇に対する感度はどうしても映画に対するそれより鈍くなるのだけど、「CHANGE
THE
WORLD」を見て、「演劇って……いいな……すごいな……」としみじみ思った。何か舞台見に行こうかな。8月1日には「日本三國」を見に行きますけども(楽しみ)。
私が演劇より映画が好きという知覚には、私ができる限り演じる向こうに認知されたくない、という傾向が影響していると思う。
ちょうど先週、フォロワーと、(それぞれが好きな、あるいは思い描く)「地獄」はどういうものか、という話をして、その前後で同居人とも話をして、「地獄」(的な、苦しさを伴う物語)が悲劇であるか否かという論点が出たりした。そのなかで、私が好んで「地獄」的な物語をみるとき、私は完全に鑑賞席からその物語を眺めているのだ、という話になった。これは前述した、「できる限り演じる向こうに認知されたくない」という傾向にもつながるだろう。私は物語をできる限り観客席で見たい。もちろん共感も、同情も、想像もするけれど、座っているのは舞台の上ではなく、観客席がいい。カルピスをズコズコ飲みながら、舞台の上の地獄を眺めていたい。
私の好みのベースにあるのはホラー(さらにいえばJホラー)で、これが「鑑賞席にいるのが好きだからホラーが好き」なのか、「ホラーが好きだから鑑賞席にいるようになった」なのかはわからない。ただ、ホラーというジャンルは、私が一緒に舞台に上がるより、ちょっと離れたところから事態をみて「あーあ」と言っているのが似合うジャンルだと思っている。
(一緒にハラハラするのが良い作品のジャンルは、サスペンスになるのではないか)
そして突然、サイレン清掃株式会社(CoC)の自分が作ったHO4について語る
(以下、CoC6版「サイレン清掃株式会社」のネタバレを含みます)
#ツイート #萌え語り #探索者の話 #ホラーと私 #漫画
と、まあ、ここで急にサイレンHO4の話になるわけだけれど、いやぁいいキャラできましたし、もうめちゃくちゃ好きな設定ですねとずっとルンルンなわけですが(サイレン終わって1ヶ月!?)、これも私のこの鑑賞者好きというか、キャラクターと共に歩むより外から見てるのが好きというところにね、ヒットしているわけだなあと思って。
HO4の元神話生物設定、大好きだなあ。生還できれば人間になるのもめっちゃ好き。元神話生物ということは、我々人間の価値観とは別の価値観で元々は存在していたわけですよ。ここのズレの時点で大好きなのですが(ちょうど、自分なりの秩序の中で仕事を頑張ったキャラクターの例として、タコピーときゅうべえとボンドルドが描かれているイラストが回ってきたが、そういうズレ)、そのズレがあるのに人間であるというね、なんかこの中途半端さがね、概念的に孤独というか孤立というか、その感じがね、好き。
そしてうちのHO4はこの孤立を全然気にしなさそうな精神デザインにできたのでかなり気に入っている……だがだいぶ……思考エンジン組み立てるのに複雑なキャラになってしまったかも……(自陣の人たちがかなり理解度高いので、すげえなあと思っています)。
シリアスにもギャグにも対応できるキャラになったから汎用性は高いし、コミュニケーションもとってくれるから他者との交流に困らないけど、みんなに感情を向けるかというとまあどうだか、という変な肉付けになってしまった。dis-communicationのオタクとしてはテンション爆上がりなのですが、dis-communicationのオタクって多くはないと思う。
しかし、今更気づいたんだけど、これはちょっと、パリダダ付近の、アンドレ・ブルトンとその周辺におけるジャック・ヴァシェの鈴木雅雄解釈(「シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性」にあるようなもの)に通じるところがあるのではないか。あるものにとっては神であるが、あるものにとっては神ではない、そのためにヴァシェは幽霊として彼らの間を徘徊するしかないという、あの激萌え解釈に……。
好きなものを咀嚼して何かしらの形で自分から出せたものって、愛着がわくもんですね。そりゃそうだ、という話ですが。
しばらくはサイレンHO4でルンルンしていそうです。ひそかに書いているテキスト(二次創作)も溜まってきたから、8月あたりに本の形にするぞー。畳む

わたしの好きなものの原点と根底は、ジャンル的には「ホラー」で、わたしは中学生の自分から、ホラーテイストのものをよく好んでいた。
ホラーに触れたきっかけは、母が心霊動画とか怪談とかが好きで、テレビでよく見ていたからだ。小学生の頃には、家には講談社から出ている「学校の怪談」(緑と赤のカラーリングのやつだ)がおそらく全冊あった。それから、加藤晴彦が好きだったから、彼が出ているという理由で映画「アナザヘヴン」を見て(BL的な要素で萌えていたから、中学に入ってからのことだと思う)、ホラー映画やホラー小説にも足を突っ込み、足を恐怖の泥まみれにして、そこから離れなくなった。
ホラーというジャンルはやっぱり怖いものなので、苦手な人も多い。ちなみにわたしもものすごく怖がりで、本当に怖い映像は目を逸らしてみたり、自己責任系は読まずにスルーしたりする。だから自分が好きなものが誰かにとってはそうではない、という状況には慣れている方だと思う。この思いは、わたしが最も好きな作家である瀬名秀明先生が、SF作家クラブの会長をやっているときにいろいろと揉めて、疲弊している様をほぼリアルタイムでみた経験により強まったところがある。今になってみると裏でいろいろあったのかもしれないと思えるが、当時は好きな小説家が一方的に疲弊させられていくようにしか見えなかった。わたしが好きなものが受け入れられないという状況として、そこそこ影響を受けている。
そのあたりの経験があってか、まあわたしは好きだけど、一般的には嫌な顔されるかもね、というテンションを保つことがわりと容易だった。例えば精神的にしんどい物語も積極的に鑑賞するし、ガチで萌えを突き詰めるとハーマトフィリア(失態性愛)(すごい言葉であるが、人が失敗したり責められたりしているところに興奮する、というものらしい。つい先日知って、「これやんけ〜」と大の字になった)に行き着く気がしている。
わたしはわたしのこの好みや嗜好を否定するつもりはない。だが、誰かを傷つく場面に喜ぶような人間でない方が、どれだけ健全であっただろう、楽だっただろうと思うことはある。大人になって、社会人としてまあ部下がいるような立場になってきて、社会を構成する人間として未来を考える時期になったここ数年、特にしんどいと感じる。こんな嗜好をもつわたしが、社会人として正しいのか? とふと、考えてしまう。
もちろん、社会の一人としてのわたしは、正しくあろうと努力している。社会人としてのふるまいは、嗜好とは違うレイヤーのことなのだから、自分のできる範囲のなかできちんと応答していきたいと考えている。現実での振る舞いとわたしの嗜好は別で、わたしは現実で誰かが理不尽に苦しんだり傷ついたりすることを肯定しない。
なんでこうなっちゃったのかはわからない。わたしに多大な影響を与えたフィクションはいくらでも思いつくが、同じものを見てもこうならなかった人間もたくさんいるはずだ。こればかりはしょうがない。
わたしはわたしの人生と思考を楽しんでいるが、「ちがったら楽だったのかな」と思うことはある。フィクションのなかで傷つく人たちに喜んだあとに、「その分、現実ではきちんとするから許してくれ」と誰にともなくプレッシャーを感じていることがある。
わたしはもう、これがこじらせているのかどうかもわからない。ただ、時々無性に焦燥感を覚える。本当にこれでいいのだろうか、わたしはおかしいのではないか、と考えることがある。
いろんな人がいて、現実世界において秩序を保つ行いができる限りは、存在を否定する理由はないだろう。
だからどうか、そっとしておいてくれ。
そんな風に思うときがある。ついさっきも、そう思った。
#ツイート #オタク #考えたこと #ホラーと私