250726_小泉光誕生日SS

 七月二十六日。モラトリアムの代名詞である、二ヶ月の長い夏休みの直前。長野大学のキャンパス内をほんの少し浮き足立つ学生たちが横切っていく。そのなかを小泉光は、帰省の予定を考えながら歩いていた。
「あ、いたいた。あれは小泉光だ」
 背後で名前を呼ばれ、小泉は猛烈な嫌な予感を背中に感じながらも足を止めた。成人男性の平均より若干高い、軽やかすぎるとさえ感じる声音。小泉が知る人間のなかで一番近い声音をもつのは、大学で知り合った宮間杜男である。
 彼は性格に難のある男で、こうして積極的に話しかけてくるということは、小泉を使って何か悪意を浴びせてやろうと考えていることが明白だった。
「探したよ~間に合ってよかった。今日は君の誕生日だろう?」
 たしかに本日、七月二十六日は小泉光の誕生日である。
 大学の友達の幾人と幼馴染、そして家族からはすでに誕生日を祝う言葉をもらっていた。小泉自身はさほど誕生日にこだわりがあるわけではないが、祝ってもらえるのは純粋に嬉しい。
 言葉だけ聞けば、宮間も小泉の家族たちと同じように、こちらの誕生日を祝おうとしているのだと思えるが、その声の調子はどこか鼻で笑っているようなところがあり、素直にありがとうと受け取る気になれないものだった。小泉が小さくため息をつくと、彼が「ため息なんてついて嫌だなあ」と即座に応答する。人の言動への対応力が驚くほど高いのが、彼の長所であり短所だった。人への気遣いという美点になるはずのそれを、彼は他人を不快にさせるために使いこなしていた。
 やたらと近づけてくる彼の顔を手のひらで押し返す。宮間はそれに抵抗せず、代わりに小泉へ紙袋をぐいぐいと押し付けた。
「何?」
 頬に刺さる紙袋の角を避け、小泉が訝しげに眉間にしわを寄せると、宮間は明るく「プレゼントだよ!」と笑った。
「当たり前じゃん、今日は小泉の誕生日なんだから」
「え、あ、ありがとう……」
 さすがに誕生日プレゼントを拒否するほど宮間を嫌悪しているわけではない。ただ、宮間と小泉は誕生日プレゼントを贈りあうほど親密ではなかった。実際、小泉は宮間の誕生日がいつかを知らない。宮間との仲は「友だちの友だち」と表した方が近い。
「滋賀にある、たねやってところの水ようかんだよ。小泉は水ようかんが好きなんでしょ?」
 しっかりした素材の紙袋のなかには、しわひとつなくぴっちり包装された長方形の箱が入っている。お中元やお歳暮でやり取りするサイズだ。
「……」
「疑ってる? 本当に入ってるって。ちゃんとお取り寄せしたんだから」
「そうじゃなくて……」
 水ようかんが好きなのは本当だ。小泉が生まれ育った福井では冬に水ようかんを食べることが多く、親しみがある和菓子なのだ。味が好みというよりは愛着に近いが、もらったら素直に喜ぶ食べ物の一つである。
 だから、水ようかんを誕生日プレゼントに貰えたのは素直に嬉しいが。
 問題は、小泉がそれをこの男に伝えた記憶がないということである。
 つまりは出所があるはずだが――と考えながら、小泉は同時に宮間と自分を繋ぐ共通の友人のことを思い出して、再び嫌な予感に囚われつつあった。
「あ、小泉!」
 今度は前から名前を呼ばれ、宮間のプレゼントから顔をあげると、ちょうど先ほど思い出していた友人の姿がそこにはあった。こちらに手を振っており、随分と機嫌が良さそうだ。
「小泉、今日誕生日でしょ。だから――」
 宮間と小泉をつなぐ友人の新田明朗は、小走りで駆け寄ってきたあと、手にしていた紙袋を小泉に差し出そうとして――今、小泉が持っている紙袋が、自分の持っているものと同じ種類だと気づいた。
「あれ? それ……」
 新田が持っている紙袋は、小泉が持っているものより二回りほど小さいものだ。嬉しそうにしていた新田の表情がわずかに曇る。
 気づけば、宮間はいなくなっていた。
「さっき、宮間にもらったんだけど……」
 小泉はひとまず事情を説明した。あ、そうなんだ、とトーンダウンした声で新田が答える。
「もしかして、宮間においしい水ようかんのこと、聞いた?」
「うん」
 新田が頷く。
「俺の誕生日プレゼントにあげたいからって?」
「うん……」
 ただの確認なのだが詰問しているように感じたのか、新田の声が小さくなる。
「はー……そういうことか」
 つまりは、宮間が突然、小泉に誕生日プレゼントとしてたねやの水ようかんをくれたのは、純粋に新田への嫌がらせなのである。尋ねてきた以上、新田が小泉への誕生日プレゼントとしてたねやの水ようかんを買うのはほぼ確実だと彼は考え、あえて同じものを買って――念入りなことに新田が買うよりも多く入っているセットを買って――先に渡して、新田のプレゼントの箔を落とそうとしたわけだ。だから話しかけてきた時に「間に合ってよかった」と言ったのだ。あれは誕生日に間に合ったということではなく、新田より先に渡すのに間に合ってよかった、ということなのだ。
 あまりに姑息で、意地が悪い。
 そんなことをするエネルギーも金も、絶対に他のことに使った方がいい。
 宮間という男のネガティブな方面の行動力に、小泉は心底呆れた。
 呆れる小泉の向かいで、新田は中途半端にこちらに差し出していた腕を下げる。そして困ったときに浮かべる笑みをつくって、「こんなにいらないか」と小さく呟いた。
 いや、と小泉は手を差し出した。
「ありがとう、新田。別に今日中に全部食べなきゃいけないってわけじゃないし、嬉しいよ」
 小泉の言葉に、新田が遠慮がちに笑みを浮かべ直し、一度下げた紙袋をもう一度差し出した。
「そう? ……じゃあ、これ。小泉、お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
 同じ種類の紙袋を両手に一つずつ持って、小泉は新田に笑いかけた。つられるようにして、新田も先ほどまでよりほっとした様子で笑う。
「せっかくだからさ、このあと時間あるなら……うちで一個食べる? これだけあるから、一個くらい分けても全然問題ないし」
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、そうしようかな」
 それじゃあ決まりな、と小泉が歩き出す。二、三歩遅れて、新田も後ろからついてくる。
「ケーキも買う? 誕生日だし」
「いや、水ようかんで十分だろ」
「そっか。あ?、滋賀で買った酒とか持ってくればよかった」
「待って。これ、滋賀まで買いに行ったのか?」
「え? うん。これ、滋賀のお店のやつだよ」
「そ、そうか……」
「この前の日曜日に行ってきた。琵琶湖も見たよ。はじめて見た」
 新田の声のトーンは再び上がりはじめていた。他愛ない会話を交わしながら、二人は夏の太陽の元、小泉の家に向かって歩いていった。

 

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