if you be good me oh I be good you

BLCP:コバ犬


それは犬丸との夕食を食べ終わり、片付け終わった頃だった。
放っておくとろくな食事をしないからと、犬丸はよく俺の家に来て食事を作っていた。どこぞのおしかけ女房だと思っていたがもちろん俺はとめることもなく、座って犬丸がせわしく行き来するのを見ているだけだった。
犬丸はふと、何もないテーブルの上に視線を落とした。

「もし・・・もしですよ、植木君が死にかけていたら、ルールを犯してでも助けますか?」

遠い目をして、誰に話し掛けるようでもなく。
まるで俺なんかいないように、さりげなく。

無言でいると、犬丸は正座していた足を少し崩して答えを待った。独り言のようにつぶやいたくせに、こっちの返事がどうしても聞きたいようだ。犬丸が入れてくれた紅茶を一口飲んで、ちょっとじらしてみる。
落ちていた視線が、俺に向けられる。いつもの優しい目が、無言の俺を促すように見つめている。まったく表情を変えないで犬丸は俺を見ていた。まっすぐな目だ。キレイな色をしている。
これはマジメに答えなきゃいけないと思って、答えになりそうな言葉を探した。
簡単に答えられるような質問ではない事が、やっとわかった。
仕方なく首を振って見せて俺はゆっくり言った。

「場合による」

それを見て寂しげに笑った犬丸は、まだ一口も飲んでいない紅茶のカップを手に取った。
透明感のある茶色の液体。
意味深げにため息一つついて、俺を見ている彼。

「でも・・・」

ふいに言葉が口をついた。何か、と首をかしげる犬丸。やわらかな髪が揺れる。
純粋な目の奥には何も映っていない。儚い雰囲気がする。
全てをそのまま受け入れてしまいそうだ。
拒絶という事を知らないであろう幼い彼。いや、幼いという形容詞を使うには彼はこの世を知りすぎているのだ。ただ彼の目には全てが真実に映るのだろう。ならば、答えなければならない。

「         」

自分にも聞こえない位の声で、つぶやいた。

何か悟ったのか、険しい表情になった犬丸は、口を開きかけた。

それを抱きしめて止める。

半分無意識の内の事だったから、自分でも驚いた。
何をしているのだろう、俺は。
とりあえず犬丸を放そうと思っても、手の力は自分に反抗して緩む事無く。戸惑っていた俺の右肩にあごを乗せて、犬丸はじっとしていた。抵抗しない犬丸に更に戸惑って。言うことを聞かない手をやっとの思いで犬丸からはがした。

「どうして…..」

わかった、と続きを言えない俺に微笑んで彼は子供を諭すように優しく言った。

「小林さんの事で、わからないことがあると思うんですか」

ああ、そりゃそうだ。
気が利く彼の事、きっと人の気持ちなんて大体はわかってしまうだろう。現に俺のウソなんてすぐ見破られるし、嬉しそうにしているとその理由をずばり当てられてしまう。
ため息をつくと、犬丸は微笑みを苦笑に変えて頷いた。
トレードマークのシルクハットが少しずり落ちる。
慌ててそれを直しながら、犬丸が俺をじっと見据える。

「それに・・・・・・」
「ん?」
「前々から、わかっていた事ですし」

面白い奴だと思った。
わかっているのになんでそんな顔をする?
わかっているのになんで俺の傍にいる?

わかっているならば、離れた方が、いいじゃないか。

辛い思いをしなくてすむのに。

つい声をあげて笑いそうになるのを必死でガマンした。
肩が震えたのに気付いたか、笑わないで下さいっ!と頬を赤くして叫ぶ犬丸が愛しく思えた。

なんでこんな奴と一緒にいるんだろう、俺は。

頭のどこかで、バカだなぁと自嘲する声が聞こえた。
いいじゃないかよ、とその声に答えて、彼の額にデコピン。
少し痛そうに顔を歪めた犬丸は、ため息一つついて汚れた古い天井を見上げた。その途端、俺の中でバカだという思いもこみあげてきた笑いも全てふっと消散してしまった。
不思議そうな目をして、どうしたんです?と犬丸が聞く。そのあどけない顔を見て俺の中に違う感情が現れた。あっても悪くはない感情。

「んな顔されたら、無理だな」

「えっ・・・?」

ポケットからタバコ1本とライターを取り出して火をつけた。

タバコ嫌いの犬丸は俺から少し離れる。ガキだな、と笑うと、そうですよ。といじけたように苦笑した。犬丸にしては意外な反応だった。いつもなら怒り出すのに。怒る気も失せているのかな、と考えつつ煙を吐き出す。
白っぽく視界が濁る。慣れきっているはずのタバコの匂いが、今日は妙にうざったい。ポケットに手を突っ込むと、タバコが1本しか残っていなかった。買わなければと思ったが、禁煙するいい機会かもしれない。普段なら絶対考えないのに、そんなことを考えるほどタバコの匂いに苛立ちを覚えていた。

いつもよりまずく感じられたタバコを近くの灰皿でもみ消して、口の中に残っていた煙を吐く。
嫌そうに眉を寄せた犬丸が、耐え切れなくて窓を開けた。外の空気がおいしいとでも感じているのか、気持ち良さそうに深呼吸している。そんなにタバコがダメなのか。やっぱりガキである。幼いという形容詞も、ここでなら使える。
俺の気持ちを察したか、ふいにこっちを向いて、今何考えました?と聞いてくる。

「別に?」
「本当ですか?」

犬丸は納得できないと言うように首をかしげた。
女みたいに勘が鋭い奴だ。
眉寄せている顔が本当に女みたいだと思うと、つい笑ってしまった。

「何を笑ってるんですか?」
「いや、お前は女みたいな奴だなー、と思って。」
「なんですかっ、それっ!」

丁寧に答えてあげたのに、本気で怒る犬丸。一体何なんだ。しかし苦笑ではなく、心の中には一種の安らぎが感じられた。それを大切に思い、そっぽを向いてしまった犬丸に微笑んだ。

しばらくしてから犬丸は立ち上がってドアへ向かった。

「・・・行くのか?」

話し掛けても、こっちを向かず、返事は無し。
さっきの言葉はそんなに傷つくものだったのか? いやたぶん違うだろう。何か別の理由があったに違いない。考えようとして、考えるのをすぐやめた。
バタンと乱暴に閉まるドアの音がして、部屋が静まる。
なんだろうな、と知らないふりをして息を吐く。
妙に静かに思えるこの空間。

もう1度息を吐いて、小林は寝ることにした。

「たぶんいつかは、そうするだろうなぁ」

今度は聞こえる声で、そうつぶやいた。

それが己の正義だから。

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